ジュニア協力隊
体験記
ジュニア協力隊に参加した高校生の体験記を2つ紹介します。
マ レ ー シ ア で 得 た もの
つくば市内 高校三年 Mさん
私は、今回このジュニア協力隊に参加したことで、今の自分にはもちろん、これからの自分にも大きな影響を与えていくことと思います。活動視察、ボランティア活動、ホームステイ、市内観察、いろいろ体験した中で、"将来の自分に最も影響を与えそうだな"と感じた体験は、荒井弘子さんが活動しているPDK《デイケアセンター》スンガイブダニで、ボランティア活動をしたことです。私達がPDKを訪問した時、部屋にはおよそ20人-30人の生徒と、数人の保護者、介助者がいました。PDKの様子は、とても開放的で"自由"という印象が強く残っています。好きな時に外に出て遊具で遊んだりしている子ども達は、障害を持っていない子ども達に負けないくらいの笑顔をしていました。折り紙やあやとりを教えてあげる時、お互いに言葉は通じなかったけれど、言葉が通じなくてもうまくコミニュケーションがとれることができた事には、本当にうれしかったです。
私は将来、福祉関係の職業に就きたいと思っています。中でも障害を持った人の介助などをする職業就けたらいいなと思ってきました。福祉関係の職業に就きたいというのは、強い希望なのですが、障害をもった人の介助をしたいという思いは、それほど強いものでもなく、"自分にできるのか"、"自分に合っているのか"、という気持ちがあり、とてもあやふやなものでした。だから私は去年の夏休みに、学校の先生の誘いにのり、重度の障害をもつ人の介助を体験し、自分の気持ちを確かめました。結果、その体験はとても楽しかったけど、まだ少しあやふやな気持ちが残っていました。そんな時に、活動内容は、少し違ったものだったかも知れないけどPDKでボランティア活動をして、やっぱりそこでもすごく楽しくすごすことができ、短時間しか活動できなかったけど、そこで初めて以前のようなあやふやな気持ちなく、"こういう仕事がしたい"、と思えるようになりました。それと同時に海外で仕事がしたいという希望もあるので、荒井弘子さんがしているような職業が、今私が一番したい職業です。
人間的に大きくさせられた体験は、ホームスティです。私がホームスティさせていただいた家は、アロースター空港から車で約20分くらいのところにあり、家の周りには田んぼが一面に広がっていて緑も多く、とてものどかな所でした。現地の人は聞いていたとおり、親切な人や陽気な人ばかりでした。
ハリラ・ハジという宗教祭の日は、朝から親戚の家を何件もまわって、行く所全部の家で食べ物をごちそうになっていたので、結構つらいものがありました。その日の夜は、引率者の小林先生とジュニア協力隊のみんなが民族衣装を着て、ホストファミリーの人達が主催してくれた行事に参加しました。私は、その時に出た料理を初めて手で食べることに挑戦しました。日本人11人が、民族衣装を着て料理を手で食べている時の事を思い出すと、現地の人と見分けがつかないくらいにみんなが、マレーシアの雰囲気にとけ込んでいたと思います。
ホームステイをしていた中で羨ましかった事があります。それは、近所どうしの付き合い方が今の日本とは違って、とても深いことです。近所の人もみんな、大きな家族のような感じがしました。そして今回何よりも嬉しかったのは、マレーシアにもう一つの家族ができたことです。名前をもらえた事は、とても感動しました。
私は、英語ましてマレー語が全くできず、本当に大変な思いをしました。一番自分自身にいらだったのは、相手が言っていることは理解できるんだけど、それに対しての返事をちゃんと返すことができなかった事です。その時ほど自分の英語力のなさに悔やんだ事はなかったと思います。この事をきっかけに、英語力を上げたいと思います。できれば少しでもいいからマレー語も話せるようになりたいです。
今回の企画の募集用紙を見た時、"自分には無理かもしれないけど頑張ってみたい"、と思えた事が今考えると自分ではない様な感じがします。いつもの自分だったら、" 自信もないし絶対無理だからあきらめよう"、という感じであきらめていたかもしれません。しかし、今回だけはどうしても参加して自分を今よりも成長させたいという気持ちが、私をやる気にさせてくれたのだと思います。そのおかげでジュニア協力隊に参加し、貴重な体験やすばらしい出会いをすることができました。そして日本に帰ってくる頃には、以前の自分よりも成長した様な感じがしました。
今回、ジュニア協力隊に参加することができ本当によかったです。
ア ジ ア の 中 で 生 き るわ た し た ち
日立市内 高校三年 Hさん
何時からでしょう? ”マレーシアは発展途上の貧しい国である”、と何の前説も無く教え込まれた私は、素直にその言葉を受け入れ、テストでは常に高得点。この様に述べるとうぬぼれている様に聞こえるでしょう。実際、テストでいい点を取ることは、社会的に”頭がいい”とみなされているのでしょうから。教えられた事を、何の疑問も持たずにそのままテスト用紙に書きなぐり続けて、会得する高順位。はっきり言って馬鹿げた教育制度です。私達は学校で、一体何を勉強しているのでしょう?そもそも、この様な疑問を抱き始めたのは最近の事ではありません。しかし今回、私達に身近なアジアの国々の内の一つ、マレーシアに足を踏み入れて、私の人生の羅針盤は大きく揺れたのです。
クアラルンプール空港に着いたのは、現地時間の午後7時頃。辺りは薄暗く、ネオンの光だけが私達を迎えてくれていました。マレーシアに着いて早々疲れていたのか、大して街の様子には目が行かず(そもそも暗くてよく見えない状態でしたが)、その日は幕を閉じました。驚いたのは、次の日の朝でした。ホテルの窓のカーテンを開けると、首が痛くなるような高層ビル群、道路を埋め尽くす車。目を疑いました。「これが、あの貧しいマレーシア!?」東京都そう変わらない姿に、ただ目を白黒させるばかり。ふとその時、私は自分の愚かさに気が付いたのです。マレーシアと言えば貧しい国。マレーシアの全てを、こんな単純な方程式にあてはめていただけの私。なんと恥ずかしい事でしょう。第三世界と聞いただけで、見下した考えを持ってしまっていた自分が、国際協力なんて出来るはずがありません。初日から、早くも国際協力のあり方を考えさせられました。
街を眺めていると、嫌でも目に入る光景がありました。街のあちこちで道行く人々が、平気でゴミを道端に捨てるのです。車の中から投げ捨てられるゴミもあります。都市化するにつれて人口は増えるわけで、ゴミも自動的に増えていきます。今、マレーシアは工業化も進み、先進国の仲間入りを果たそうとしているようですが、果たして環境への意識は高いと言えるでしょうか?マレーシアの人々には、たかがゴミの一つや二つとぼやかれそうですが、実際に、日本はそのゴミに対する意識の低さから、環境悪化を招いてきたのです。今のマレーシアは、三十年前の日本の状況と一致してきていると私は思います。日本が歩んできた三十年間と今からマレーシアが歩む三十年間が、全く同じ過程になるとすれば、地球の死滅はそう遠くないでしょう。マレーシアはこれから先、良くも悪くもなる可能性のある国です。それを少しでも良い方向に持って行くためにも、その三十年間の経験のある日本は、今までに成功した事例・失敗した事例を基に、同じアジアに生きるものとしても、サポートして行かなくてはいけないと思うのです。
ここまで私が考えずには居られない理由にはホストファミリーとの出会いがありました。アロースター空港で優しく出迎えてくれたアズロイさん一家と私は、ホームステイ初日の夜は、屋台での夕食となりました。丸いテーブルを囲んでの食事は、なんとなく気恥ずかしく、緊張のせいか食欲も出ません。しかし、そんな私を気遣ってくれたのか、ホストマザーのナズラさんは、私に解かるように英語でいろいろ私に質問してくれるのです。なんだか、とても嬉しくて、自然と笑みもこぼれるようになり、話もはずんで行きました。
ホームステイ三日目、三月二十八日はハリラヤと言う祭りの日で、私はナズラさんの母(私にとっては、おばあちゃんのような)の家に行きました。親戚の人達が次々と集まって来て、まるで日本で言う正月のような、そんな感じでした。рヘその日、マレー系の人々が着る民族衣装を身に纏っていました。その姿を見て、おばあさんは急にある一枚の写真を持ち出してきて、「この子はまだ結婚していないから、御嫁に来て欲しい。」と私の腕を優しくなでてくれたのです。私はもう、ただただ嬉しくて、ウンウンとうなずくばかりでした。庭に出て、私は見たことの無い木を見つけました。よく見ると赤い実が無数になっています。じっと眺めていると、七歳のエダちゃんが、これはグァバの木だと教えてくれました。と同時におばあちゃんが、そのグァバの実を二つ、私に取ってくれました。初めて食べるグァバの実は、ちょっぴり酸っぱくて、でもほんのり甘い南の香りのするフルーツでした。おばあさんの庭は色鮮やかで見とれていた私に、ナズラさんは、ピンク色をしたバラの花を一本折って、私にプレゼントしてくれました。
二十九日の朝、ホストファミリーと別れる時が来て、私は何か御礼がしたいと思いました。
悩んだ挙げ句、美術部の私は、ファミリー一人一人の似顔絵を描き上げ、それをアロースター空港に向かう車の中でエダちゃんに渡したのです。するとエダちゃんはとても嬉しそうにその絵を眺めていました。
別れの際、ナズラさんが私の頬にキスをしてくれたことを今でも鮮明に覚えています。とても暖かくて、涙が出てしまいました。ホームスティをしている間、少なからず言語の壁にぶつかった私。彼らの話す言葉・文化・地域の事私は知らな過ぎました。教科書には載っていないマレーシアの世界。今まで百点だったテストも、本当は零点だったのです。それを知った私は、これからは何を勉強すべきなのか解かったような気がするのです。彼らに少しでも平和にそして安全に暮らして欲しい。その為に、私は”援助”をしたいのです。本来そういう気持ちから、国際協力は生まれるのではないでしょうか。