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シニア隊ボリビアより帰国報告
2001 5月 帰国 村落開発普及員 福原 亮
こんにちは!私は協力隊のシニア隊員として2001年の5月にボリビアから帰国しました。 私と協力隊の出会いは今を遡ること20数年前の高校時代(茗渓学園)です。当時の英語教師がエル・サルバドルのOB(日本語教師)でした。体育館で協力隊のPR用の映画"アサンテサン"を見せてもらった記憶があります。途中、ついうたた寝をしてしまい、クライマックスの用水路に水が勢いよる流れるシーンで安眠を妨害され飛び起きたことを覚えています。国際協力にはまったく関心のなかったこんな私がまさか、大学卒業後(信州大学)してから今まで殆ど政府開発援助(ODA)にお世話になるとは夢にも思っていませんでした。ちなみに私の協力隊"歴"、職歴を申しますと、昭和62年3次隊(ニジェール植林)、平成5年1次隊(ビリビア植林)、そして今回のシニア隊(ボリビア村開発普及員)です。 社会人時代は(社)海外林業コンサルタント協会というところに所属していました。おもに林野庁やJICAの下請けのようなことをしていました。 よく言われるのが"いいかげん協力隊は卒業するよう"ですので、こんどは専門家と思うのですがあまり自信はありません。もしダメなら40からシルバーボランティアでもと考えています。 さて、これまでの体験記でもしますか?今から10年あまり前に最初に派遣されたニジェールという国はこれまで滞在したなかで一番過酷なところでした。まず、何といっても暑い。日中で最高50度にもなり、 暑くて扇風機やクーラーをまわす電気がないのです。現地の人々はあまり外出せず、畑仕事も午前中で午後は日陰で昼寝かお喋り。日干しレンガの家は夜熱がこもり暑いので、外に蚊帳を吊って寝ていました。マラリアにも二度ほど罹りました。一番苦労したのが、体温を正確に計れないことでした。気温が体温を上回っているので、体温計は常に振り切った状態だったからです。植林した苗木も暑さと乾燥のため殆ど枯死しました。まれに焼け石に水のごとくでしたが、唯一、水道のある庭のものはグングン成長してゆきました。 ちょうど協力隊25周年ということで、写真集のため撮影もきましたので、生活、仕事の概要は"We Love The Earth 大切な人間と地球のために"をご覧下さい。カメラマンは野町さんという方で有名なかたのようでした。協力隊の募集用ポスターにも使って頂いて私も一躍有名になりました。任期も終わりに近付いたころ、林業コンサルタントが調査に来ており、帰国後はそこに籍を置きつつJICA林開部でプロ技協国内支援委員会の事務所仕事をしていました。当時、ユーカリ造林が各方面から批判を浴びていたこともあり、分科会を開催し、問題分析のようなこともしていました。適応力が高いゆえに悪者にされてしまうユーカリちゃんは本当に可哀想だと、まるで人事には思えない複雑な気持ちでした。 その後また、海外にでたくなり、できれば南米あたりへと思い、現職参加でボリビアに行くことになりました。ボリビアと一言で言っても広うございます。隊員の時はサンタクルス県のバジェグランデ(Vallegrande)というスペインの田舎町を思い出せるようなのんびりしたところでした。標高が2300mくらいで、暑くもなく寒くもなくちょうどいい気候でした。それから、キューバの革命家ゲバラがボリビアで処刑され、つい数年前に遺体が発見されたところでもありました。 | |
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しかし、今回のボリビアは、まるで別の国というか惑星?に来てしまったようなところでした。来られた方ならご想像できると思いますが、アルティプラーノは3600m〜4000mほどにあり、空気が薄い、雨が少ないと、自然環境は厳しく高山病に悩まされるところでした。幸い私の場合は、脳みそが酸素を要求していないようで、頭痛にもならないですみました。そこに住む人々は先住民であるアイマラ族で、独自の文化、言語を持ちます。ボリビアのなかでも極貧である彼らは社会に対して日頃より不満を抱いており、たびたびゼネスト、暴動へと発展しました。幸い協力隊は外国人が襲われるというニュースは聞きませんでしたが、暴動時は国道に石等の障害物が置かれ、完全に封鎖状態でしたので、JICAラパス事務所も軍などと救出のための交渉に苦労なさったようでした。もし、危害を加えたり、人質として身代金を要求されたらJICAは払えたでしょうか?実は帰国直前もメーディあたりが危険との噂が流れていましたが、ジャガイモの収穫が遅れていることもあり、1ヶ月延期となりました。ラッキーでした。 そんなこんなで仕事らしいことは何ひとつ出来ませんでした。ちなみに私の業務内容を一言で申し ますと"JICA無償資金協力による農業基盤整備(灌漑、農道、橋梁建設)が機能するための協力隊派遣を前提とした基礎調査"でした。営農改善のためのソフト分野からのサポート、獣医がすでに着任しており、2001年の12月に食用作物が派遣されています。 今の正直な気持ちは、仕事があまりうまくいかなかったことを悪怯れず、何故うまくいかなかったかということについて?めてみたいと思っています。出きれば大学院のようなところに入学して"ボリビア先住民の抱える問題点"について研究を考えています。 えっ?その前に"私が抱える問題点"を知っておくべき?確かに・・・・ | |
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| ガテマラ 羽生美恵 | |
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青年海外協力隊茨城県OV会機関誌 第7号 編集委員会作成 2003年2月28日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★機関紙編集委員会よりおしらせ★  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ◆青年海外協力隊茨城県OV会機関紙編集委員会は有志により運営されています。 手伝ってくれる人を大募集中です。(あと原稿を書いてくれる人も) ◆ご意見、ご希望などは「機関紙んムダムダ編集委員会」までお寄せください。 e-mail: nmudamuda@yahoo.co.jp ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ここに掲載された事項を許可なく転載する事を禁じます。 Copyright(c),2002-2003 青年海外協力隊茨城県OV会 青年海外協力隊 茨城県OV会 機関紙んムダムダ 平成14年度1号 (通巻7号) |